無理を言ってディスコDJに頼み込み、プレイ中のサウンドをカセットテープに録音してもらった。なんて先輩たちのおかげで、日本にもわずかに現存しているディスコ録音テープを発掘し再生。当時のリアルな選曲、プレイスタイルがそこにあった。
※この記事は雑誌『昭和40年男』、2024年10月号に掲載したものです。


ツウな選曲でMCナシの六本木。
筆者はディスコ文化を探求して20年ほどになる36歳 (昭和40年男じゃなくてスミマセン……) 。実は昔にディスコ生録音テープの収集にハマっていた時期があり、そのことを知った本誌編集長さんから「ぜひ、それらがどんな選曲なのかを読者に伝えてほしい」 と依頼を受け、あらためて聴き返すことになりました。チョイスしたのは東京・六本木と、大阪・ミナミにあった4つのサーファーディスコ。読者の皆さまに、少しでもあの頃の空気をおすそ分けできると幸いです。
そんなわけでまず手にしたのが1979年、六本木・スタジオワンの録音テープ。テンポの速いナンバーがMC皆無でガンガンMIXされる。それはまるでニューヨークのディスコ、パラダイスガレージのようで、ダンスクラシックス一辺倒の今のディスコシーンとの違いをまざまざと感じさせられた。
場所は変わって大阪、80年のミナミ・サムシングエルス。のっけから流れたニールセダカ「やさしすぎるあなた 」(なぜか邦題)に悶絶!忘れ去られつつある関西ヒットナンバーの登場に心を鷲掴みにされる。ちなみにこのテープ、ずいぶん前にDJ OSSHYさんにプレゼントしたことがあり、選曲にいたく感動しておられました。
ディスコがすっかり大衆化した82年。東と西のトップサーファーディスコはどんな感じだったのだろう。東京・六本木はやはりナバーナ。ブラックコンテンポラリーのツウなナンバーと、ダンスクラシックスのヒット曲が塩梅で流れていく。控え目に言ってもすばらしい!もちろんノンMC。


ショーケンもアリな大阪ミナミ。
大阪・ミナミは葡萄屋だ。聴くとどうやら誕生日の貸切パーティのよう。「なんか今日は集まりが悪いなぁ、これは葡萄屋のせいじゃないぞー」とDJトシのボヤキMCとともにテープがスタート。ニューウェイヴ、ラテン、AORのダンスナンバーが繋ぎ重視ではなく流れる様がこれまたよし。テープ終盤、チークタイムにかかった曲はなんと萩原健一 「ハロー・マイ・ジェラシー」!さすがはかつて山下達郎を推した名物ディスコ。
とにもかくにも、当時はそれぞれのディスコにキャラクターやカラーがあったことをあらためて痛感。ここで最後まで読んでくださった方に朗報。よかったらサウンドクラウドで 「1980年 サムシングエルス」 と検索してみてください。あの頃の音源を20分ほどアップしております。ぜひ僕のお気に入りのハコまで、一緒にタイムスリップしましょう。
トロピカル松村
昭和63年、兵庫県生まれ。編集ライター。大阪の葡萄屋にいたDJデニス氏やケント氏、神戸のル・キャステルにいたマーボー氏らに師事し、ディスコ文化を探求
してきた。22歳で上京。東京のディスコDJらとの交流も深め現在もたまにDJ活動を行っている
SOUND CLOUD
1980年 大阪ディスコ「サムシングエルス」
https://m.soundcloud.com/tropical-matsumura/1980-1






