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昭和マイルド

美しき野獣
ナスターシャ・キンスキー
――福積幸一 連載第3回

編集部

連載『海外スター紳士淑女録』がスタート。外国がいまより遥かに遠かったあの頃。海外で活躍するスターは、文字通り雲の上の憧れの存在だった。そんな記憶を令和のいま紐解いてみよう。

“紙切り”という芸を覚えているだろうか。一筆書きのようにハサミを動かし、紙を回転させながら立体的に造形を作り出す、アレだ。観客からのお題を募って話術を交えながら実演するのを、正月の寄席のテレビ中継で見た記憶のある読者も少なくないと思う。筆者の中学校の同級生に、S君という卓越した技術と軽妙なしゃべりで人気を博した三代目林家正楽も真っ青の紙切りの達人がいた。彼の腕前は中学生の域を軽く超えていて、鉛筆や消しゴムといった日用品から電線に止まるカラスまで見事に再現、放課後の教室を湧かせた。

そんなだからS君はクラスの人気者だった。彼が即興で作り出す造形をみんなで当てるクイズは一大イベントで、部活そっちのけで盛り上がった。中2の1学期の終業式の後、夏休みを目前にした我々はこの日も彼の芸を心ゆくまで堪能していたのだが、一問だけ答えられない問題があった。

その輪郭から推測する限り、女性であることは間違いないのだが、皆目見当がつかなかった。唐突とも思えるこの難問に誰もが戸惑い、先ほどまでの盛り上がりが嘘のように教室は静まりかえった。さすがにS君も気まずくなったのか、お題を引っ込めながら蚊の無くような声で答えを呟いたが、その声は無情にもチャイムにかき消された。しかし、一番前の席で食い入るように彼の芸を見ていた筆者には聞こえていた。彼が“ナスターシャ・キンスキー”と呟くのを。

ナスターシャ・キンスキー(本名:ナスターシャ・ナクシンスキ)は1961 年1月24日に旧西ベルリンで生まれた。父親は俳優のクラウス・キンスキー、母親はブリギッテ・ルート・トッキ。13歳で映画デビュー、79年に映画『テス』のヒロインに抜擢、日本でも翌80年に本作が公開されると、その美貌とミステリアスな存在感が話題を呼び、同年『スクリーン』『ロードショー』といった映画誌の表紙を飾った。また、この年に本作のキャンペーンで来日している。あくまで推測だがS君はこの頃、彼女の存在を知ったのではないか。ただし、当時の中学生で『テス』のような文芸大作に興味を持った者はごく少数だったはず。クラスの誰も答えられないのも無理はない。

筆者がその存在を意識したのは82年の夏、彼女がヒロインを演じる『キャット・ピープル』と、フランシス・フォード・コッポラが『地獄の黙示録』に続いて監督を務めた映画『ワン・フロム・ザ・ハート』を見た時だった。前者で人間を喰らう獣人を、後者では妖艶な踊り子をを演じているのだが、彼女の出演場面だけ違う磁場が生まれているのでは、と錯覚するほど強烈なエネルギーを放っていた。

82年といえば、彼女が出演するサントリーワイン『レゼルブ』のCMが放送された年でもある。彼女の神秘的な美しさと与謝野晶子の短歌を朗読する演出が話題になり、お茶の間でその存在が知られるようになった。この年、芳賀書房から彼女のフォト&ガイドブック『ナスターシャキンスキー:美しき野獣』も出版されている。“野獣”とは穏やかでないが、『テス』や『キャット・ピープル』の破滅的なヒロイン像も彼女のイメージに拍車をかけたことは想像に難くない。

それまで海外の俳優といえば、オリヴィア・ハッセーのような可憐を絵に描いたようなお嬢様タイプか、シェリル・ラッドのような溌剌としたブロンドの美女か、筆者が知っているのはせいぜいその程度だった。ところが、彼女はそのどちらでもなかった。個性派俳優だった父譲りの眼差しには何者にも左右されない強い意志を湛えながらも、その鋭い感受性ゆえのと危うさも内包しているように思えた。美しい俳優はいくらでもいたが、野蛮と理性、繊細と大胆、そんな相反する複雑な感情を同時に喚起させるのはナスターシャ・キンスキーだけだった。

そんな彼女の魅力が如何なく発揮されたのが84年公開の『パリ、テキサス』だ。第37回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したヴィム・ヴェンダース監督によるこの作品で、彼女は妻子を捨ててテキサスを放浪する主人公の妻を演じた。ハリー・ディーン・スタントン演じる主人公が彼女と電話越しに会話をする場面は映画史に語り継がれる名シーンだ。なかでも、主人公の語りに耳を傾けながら涙を流す彼女の演技は、大袈裟なところがまったく無いにもかかわらず、深い余韻を残す素晴らしいものだった。

この映画を見ている最中、筆者は中学3年の時に転校していったS君のことを思い出していた。“あいつもこの映画をどこかで見てるだろうか”と。そして、もし再会することがあればこう伝えたい。”おまえのセンスは間違ってなかった“と。。

文:福積幸一