「昭和の夜の遊びというとディスコしかなかった」。昭和40年男の青春時代、1980年代にそれぞれの地で活躍した“今なお現場で現役を続ける”DJからあの頃のディスコナイトを聞いた。
※この記事は雑誌『昭和40年男』2024年10月号に掲載したものです。
ディスコDJの話を聞くうえで文化発祥の地・横浜を忘れてはいけない。それはディスコというカルチャーの本来の形、すなわちアメリカをいちばん肌で感じることができた場所だからだ。その話を伺うべく、真っ先に浮かんだのは、日本の女性フロアDJの中で最も長いキャリアをもっているといっても過言ではないキヨミさん。業界では“ファンククイーン”の異名をもつ彼女。88年頃に活躍の場を東京へと移しているものの、70年代後半から横浜のディスコを見てきた貴重な存在だ。

「私は鎌倉の小町で生まれ育ったから、街に遊びに行くとなると横浜のディスコ。中学時代はバレーボール女子で、不良も好きじゃないタイプ。それでもディスコに行くのは必然の流れ、当たり前のことでした」
ドラマ『3年B組金八先生』でも、クラスメイトが皆で新宿のディスコに繰り出す回があったように、中学生にとってディスコは憧れの場所だったのだ。初めて行ったディスコでダンスに興じる人たちを見た時、意外な感想を抱いたと言う。
「スポーティで健康的な遊びに見えた。音楽もあるし、友達もできて楽しそう。イメージに反して健全なところなんだなって」
確かに『金八先生』では引率の体育教師が踊りを披露して周りを驚かせるシーンがあった。では、どんなディスコで遊んでいたのだろうか、と気になって尋ねると本格ブラックディスコ『ソウルトレイン』だったというから目を丸くして驚いた。
「あの当時ってお店によって毛色が全然違ったからね。『ソウルトレイン』は横浜駅西口の五番街にあって、横須賀に船が着く日は特に黒人でごった返していた。ニューヨークの個性そのままという感じで、スタッフもアフロヘア。そう言うと敷居が高いように思うかもしれないけど、六本木や渋谷なんかの箱と違って、純粋なダンス好きが多いからナンパ目当てみたいな人も少ないし、顔が知られていくほど安全になっていく箱。親にも『ここに踊りに行ってくるね!』って伝えられるくらい健全な踊り場だった。どんな店にも暴走族みたいな悪い人はいたと思うけど、私には縁がなかったから」
最初は店の隅でダンスを見ているだけだったが、友達がスタッフのひとりと付き合うようになると、気軽に通えるようになったという。そのディスコのDJブースにひとり、ラジオの仕事もしていた女性DJがいたと話を続けた。
「70年代後半、DJブースにいるかっこいい彼女を見て、勘違いなんだけど、女性にもできるんだって思った。女性のDJなんて当然ほとんどいない時代。80年に入る前に『K&E』というバブリーなディスコに見習いDJとして入らせてもらえるようになり、他のDJがやっているのを一生懸命に見て覚えようとするんだけど、『繋げられんの?』とか言われて、相手にしてもらえなくて」
そんな経緯でDJの世界に入っていったわけだが、この業界は狭き世界。女性の立場ではなおさら壁は高かった。
「いろんな店に行ってDJに『見ていていいですか?』って聞くと、『繋ぎばかり気にしてんじゃねえ』って怒られたり。でも六本木の『スタジオワン』のDJはすごくやさしく教えてくれた。『K&E』から『シュガーストッキング』に移ったのが82年頃。ボウリング場の跡地にできた大箱で、ブラザーたちの好きなファンクだけではなくオールジャンルのレコードをかけないといけなくなって。たまに新宿からヘルプできたDJがニューウェーブをかけるとすごく盛り上がっていましたね」


当時、キヨミさんは東京のエスメラルダというDJの虎の穴的な学校に通いながら、かけるレコードをソウルからポップスに変えるにはどうしたらいいか模索していたという。アメリカが近かった横浜でさえも、時代の波には逆らえず、大衆化を余儀なくされていったわけだ。
「80年代中盤頃、横浜にもマハラジャができて、パラパラみたいな踊りに変わっていった時、私はこんなことがしたくてDJになったんじゃないと思い、ソウルバー『テンプス』に移った」
東京と横浜の両方でキャリアを詰めたのは今から思うといいことだった、と振り返るキヨミさん。一味も二味も違う横浜の夜を体感したのは、財産としかいいようがない。
「慣れたら大丈夫だけど、やっぱり横浜は異国な世界。本牧にあった『リンディ』というディスコには黒人のDJもいたし。ディスコで仲よくなった友達が、米軍基地の中で行われていたバーベキューに連れて行ってくれたり、横須賀に『アライアンスクラブ』というディスコはドルしか使えなえないから、お金を近くで交換して行ったりした。『ソウルトレイン』のフロアは男性がメインで踊っているけど、こういうところではブラザーとシスターが一緒に踊っているシーンを見ることができた。まるで子供の頃テレビで観た『ソウルトレイン』のようだった」
やはり、あの頃の横浜の夜はアメリカの夜に最も近かったというのは間違いない。

おまけ↓
DJ KIYOMI SELECT
【1980 YOKOHAMA CLASSICS】
①BOOGIE BODY LAND/BAR KAYS
②CAMEOSIS/CAMEO
③GOT TO BE ENOUGH/CON FUNK SHAN
④YOU AND I/DELEGATION
⑤FANTASTIC VOYAGE/LAKE SIDE
⑥8TH WONDER/SUGARHILL GANG
⑦THE STORY OF A MAN & WOMEN, PART 2 A FOOL AGAIN/STANLEY CLARK
⑧FUNKY FOR JAMAICA/TOM BROWN
⑨IMAGINATION/WHISPERS
⑩MORE BOUNCE TO THE ONCE/ZAPP
泉水清美/せんすいきよみ
1979年、DJデビュー。DJネームはKIYOMI。休むことなく今も続ける現場DJとしてはおそらく日本人女性イチの歴を誇る。現在は赤坂「ミラクル」、三軒茶「ラビングパワー」、亀戸「チャーリー」などでプレイ。






