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昭和マイルド

店や本、イベントを通して
パンクと彼らの今を伝えたい
――鳥谷晴菜

ビバ・ヤング

昭和を追いかけてるつもりはないけれど、昭和世代が熱狂した当時の初期パンク文化に恋焦がれ続けている若き女性がいる。パンクの女王、ジョーダン・ムーニーの自伝(日本版)を自費出版してまで世に残した鳥谷晴菜さん。彼女の歩みと使命感に迫る。

――ジョーダン・ムーニー自伝の日本版製作、よくやりきりましたね。

鳥谷:翻訳してくれた方がいましたが、本作るのってこれほど大変なんだって思いました。でもこんなにリスペクトできる女性に出会えただけで私はラッキーだなって思っています。本なんて全然読まない人だったのにまさか執筆したりするようになるなんて。人生が変わりました。

鳥谷さんの好きな本。左端が監修した書籍『ジョーダン・ムーニー/ディファインググラヴィティ』だ。

――鳥谷さんは現在、高円寺でUKスタイルのヴィンテージショップ(More Tea Vicar?)を営んでますが、そもそもどのようにパンクに傾倒していったんですか?

鳥谷:UKパンクに目覚めたのは高校生のとき。やっぱりピストルズを知って。パンクバンドをやっていた親戚から、ピストルズ、クラッシュ、ダムドのレコードを貸してもらいました。はじめて聞いて、ファッションも含めてびっくり。もっと若いときに椎名林檎さんの歌詞にシド・ヴィシャスという名前が出ていたのが気になっていたのですんなり入っていけました。

――パンクにおけるファッションの影響も伺いたいです。

鳥谷:実はゴリゴリのパンクな格好はあまり好みじゃないんです。ツィギーのような、ポップでかわいい感じが好きで、女の子らしい格好に一個かっこいいバッジがついているとかがいい。ジョーダンや、ヴィヴィアンで働いてたデビー、スーキャットウーマンとかもそう。60年代のものをDIYでアレンジして、そこにバンドTを着たり、セディショナリ―ズを着たりするような。

――お店の雰囲気から伝わってきます。少しずつディープになっていった感じですか?

鳥谷:出身が長崎だから、毎日ライブを見るために上京したいと思うようになり19歳で東京に。国分寺に住み始め、マッドスリーのボーカルのお兄さんがやっているレコード屋「超山田堂」 に通うようになり、更にイギリスとか日本のパンクを教えてもらいました。

――もともと会社務めだったと聞きました。

鳥谷:そうなんです。せっかく東京に来たからホントはレコード屋とか洋服屋で働きたかったんですけど、こっちの物価にびっくりしちゃって。お金を貯めてイギリスに行きたかったから結局ずっとOLをやっていて、夜はライブに行くって感じでした。

――そこからさらに本場にのめり込んでいった?

鳥谷:06年23歳からイギリスに通い始めましたが、14年29歳のときに映画「トランス」 の懸賞でイギリス旅行があたり、そこで初めて本場のパンクのライブを観たんです。後に交流を持つザ・ダムド、UKサブス、『The Great Rock ‘n’ Roll Swindle』 でお馴染みのエド・チューダー・ポールらがいました。

――夢のような話ですね!

鳥谷:その抽選で行ったイギリス旅行をきっかけに、留学したいと思うようになり、お金ためて会社を辞める計画を立てるようになりました。とにかくイギリスに行く仕事がしたかったんです。留学したときチャーリー・ハーパー (UKサブス) の家にステイさせてもらい、そしたら近所にピストルズの親衛隊で、ヴィヴィアン・ウエストウッドのブティック「SEX」 の店員だったジョーダン・ムーニーが住んでいて、話すようになって。

――パンクの伝道師として導かれているように思えます。

鳥谷:17年に帰国し18年に今の60〜70年代のイギリス古着をメインにしたお店を始めました。ちなみに店名は留学中にキャンプテンセンシブル(ザ・ダムド) が名付けてくれたんです。20年にジョーダンのトークショーを日本で開催したら、多くの反響があって、またジョーダンを日本に呼んでもっと彼女を知って欲しいと思った。

――そこからジョーダンとの関係がさらに深くなっていった?

鳥谷:そうなっていきたかったんですけどすぐコロナ禍になり、イベントの2年後にジョーダンからガンになったと連絡がきたんです。3か月後に亡くなりました。こっちでもっといろんな人に知ってもらいたかったから、自分にできることは本を出すことなんじゃないかと。イギリスで出ていた本を翻訳していただき、クラウドファウンディングで出しました。

初めてイギリスでジョーダンと会ったときの写真。

――そうして、店の運営だけじゃない今の様々な動きが育まれていったんですね。

鳥谷:今もイギリスからアーティストを呼んでイベント業に力を注いでいます。最近はチャーリー・ハーパー、エド・チューダー・ポール、ゲイ・アドヴァート(ジ・アドヴァーツ) を呼びライブをしていただきました。彼らのことが大好きだから嬉しい悲鳴ですけど、やっぱり店も営業しながら観光地にアテンドもしないとで、超大変。みんなお爺ちゃんお婆ちゃんだから言うこと聞いてくれないし(笑)。もう一気に3組呼ぶのはやめようと弱気になったりしてしまいます……。

――具体的にどうやってオファーをしたりするんですか?

鳥谷:ホームページやフェイスブックからどんどんメールしています。言うだけタダだから。イギリスに行くようになって、行動力が身に着いたように思います。解散していたイーターに連絡したら、「なんでこんな若い日本人が自分たちを呼ぶんだろう」と興味を持ってくれたらしく、初来日してくれた。ジョーダンだってそう。

――渡航費とかのケアも考えると、情熱がないとできないですね。リアル世代じゃないからこそのフットワークで文化継承を頑張ってもらいたい。

鳥谷:私たち世代がやらないとパンクはすたれるなと思っているんです。イーターを日本に呼んだとき、お客さんから「イギリスに行かないと一生見れないと思ってた」 なんて声をかけてもらい。私こういうことやるのが向いているかもと思ったんです。チャーリーも81歳で元気にバンドをやっているので、彼の今をもっと見てもらいたい。かっこいいんですよ。新しい世代のバンドもいいけど、私はそんな人がいることを知ってもらいたい。日本だと、まだバンドとかやってるんだ?と驚かれるような年齢の人に対して、チャーリーは「若くて羨ましい!」 と言う。

店で扱われているヴィンテージのバッジ。すべて現地買い付けだ。

――昔のスタイルはもちろん、今の彼らからも影響を受けているのが素敵だと思いました。

鳥谷:ジョーダン・ムーニーと出会って、パンクは女性が強い文化だと気づかせてもらいました。そんなこと今まで考えたことなかったのに。ヴィヴィアン・ウエストウッドだってそう。サイモン・バーカーもパンクは女性が作ったというし、ピストルズもジョーダンを参考にしてああいうファッションができたとか。女性もバンバンやっていったらいいんだって思えるんです。

More tea vicar? 東京都杉並区高円寺南3-59-13-101


鳥谷晴菜/とりやはるな
昭和60年、長崎県生まれ。高円寺のUKヴィンテージショップ「More Tea Vicar?」店主。ジョーダン・ムーニーの自伝『ディファイング★グラヴィティ ジョーダンの物語(日本版)』を監修。UKパンクシーンを軸にイベント業や執筆業もこなす。

撮影:深水敬介
文:トロピカル松村