5

昭和マイルド

アリアプロⅡの黒の
レスポールでした
――ウルフルケイスケ

昭和40年男が残したもの

昭和40年男を代表するロックギタリスト、ウルフルケイスケ。年を重ねた今、欲しいものはギターだけ」と語るも、大阪・吹田に生まれ育った頃は、さまざまなモノやアイテムの魔力に魅了された少年だった。

※この記事は雑誌『昭和40年男』2021年2月号に掲載したものを一部抜粋したものです。

3人きょうだいの長男で、やや厳しい家庭でもあり、欲しい物がそう手に入る環境ではなかった。派手なフラッシャー付き自転車に惹かれながらも、実際に乗ってるのは子供用の普通の自転車。ラジカセも、取り外し可能のマイクとパラボラアンテナが付いてるものが欲しかったが、使っていたのは横型のよくあるタイプだった。

「シングル盤を集めてたんですけど、家には卓上プレイヤーしかなくて、ステレオがすごく欲しかったんです。それが大きい家に引っ越したら親父がステレオを買って、それで初めて聴いた時は感動しましたね。ソニーのコンポだったかな? 聴いてて『そこにバンドがおる!』って思いました(笑)。中2の時にはモーリスのフォークギターを買ってもらって歌本でコード覚えて練習して。キャロルやディープ・パープルを弾いてました」 

また、当時の日本はヤンキー文化の全盛期。ケイスケ少年は、彼らに憧れはしたものの、自分自身はヤンキーにはなれないまま。そして不良たちは赤のスイングトップを着ていた。

「下はジャージ履いて、上はとっくりの服を着て、そこに赤いスイングトップ着て、みたいなのが流行ったんですよ。マクレガーだったと思います。ツータックのボンタンも不良が履いてましたね。僕も一度ツータックを買って、家を出てからそれに履き替えて学校に行ってたんですけど、母親にバレて、めっちゃ怒られて、捨てられました(笑)。それから映画の『ビッグ・ウェンズデー』にも憧れましたね。サーフィンもそうだけど、家でパーティーやったり、デートしたり、ケンカしたり、アメリカすげえ! みたいな。サーフボードが欲しくて、先輩に海に連れて行ってもらったりしていました」

そうして青春時代を過ごす間で最も大きかったのはエレキギターを手にしたこと。最初のエレキは、高校の入学祝いにおばあちゃんに買ってもらった。

「アリアプロⅡの黒のレスポールでした。本当は違うのをイメージして楽器屋に行ったんですけど、フォルムとかカッコいいなぁと思って。それでバンドを始めて、今に至ります(笑)」

これ以降になると欲しいものもまた変わっていくのが普通なのだろうが、彼の関心は今もギターにあるという。そして大人の年齢になって感激したのは、10代の時に憧れた楽器の本物を弾くことができた時だった。それはシーナ&ザ・ロケットの鮎川誠のギターだった。

「中学から高校の頃にパンクロック、めんたいロックにハマってたんですけど、鮎川さんは黒いレスポールカスタムを弾いていて、当時ライブに行くたびに『あれが欲しい』と思ってたんです。で、鮎川さんは、そのギターを今でも使っていて、前に一緒にライブをやった時に弾かせてもらうことができたんですよ。『あん時のギター、これか!』と感激しました。鮎川さんが1960年代に買われたギブソンのモデルで、今ではそのままビンテージになってるギターです。10代の頃の自分には考えられないことですよね(笑)」


ウルフルケイスケ
昭和40年、大阪府生まれ。1992年、ウルフルズのギタリストとしてデビュー。2018年、バンドとしての活動を休止し、今はひとりで日本全国津々浦々を弾き巡る。「ミスタースマイル」の愛称で親しまれている。

取材・文:青木 優
撮影:松蔭浩之