本誌『昭和40年男』編集長の編集後記を兼ね備えたコラム。

この雑誌に関わり始めてから早9年、事あるごとに『俺たちの旅』の記事を、こだわりもって作ってきた。理由は同作から大きな影響を受けたわたしの偏執的な思いを示したいから。日本ドラマ史に残る傑作の魅力を今一度読者に再認識してもらい、この作品が残したメッセージを少しでも多くの人に伝えたいから。そんな個人的動機でページを作ってきた。
脚本家の鎌田敏夫さんから始まり、田中健さん、中村雅俊さん、岡田奈々さん、そして秋野太作さん、『俺たちの旅』の主要人物すべてに話を聞くことが出来た。金沢碧さんや森川正太さんにも会いたかったが、多くは望むまい。ただただ感謝。編集者冥利というのはこのことだと思ったものであった。
その際、取材の都度話題にしていたのが最新作の話である。75年の放送終了後、85年、95年、03年と特番が作られていたが、『三十年目の運命』以降は途絶えてしまっていたことが寂しく、どうにか続編を作ってほしいと懇願した。ライターはすべて高島幹雄さん。高島さんは、わたしがこの業界に入って最初に知り合いになった人物(当時高島さんはVAPのディレクターで私はオリコンの記者)、そのきっかけもまた『俺たちの旅』であった。それゆえ、『俺たちの旅』取材の相棒は高島さん以外に考えられず、取材を進めていたのだが、毎回二人で『五十年目の俺たちの旅』を考え妄想し合った。

その気持ちが通じたのかどうかはわからないが、昨年、『俺たちの旅コンサート』の開催が発表。間髪入れず映画化まで発表された。コンサートだけでも大ニュースなのに、映画になるとは。正月と盆が一緒にとはまさにこのことだが、。まず目を引いたのは、秋野太作さんの名前。少し前にDVDマガジンが出たとき、中村雅俊さんと田中健さんはプロモーションに協力していたのに、秋野太作さんの姿はなく、以前一度本誌で取材を申し込んだときにも実現せずだったので、最初にその報を聞いたときはまず、そこに驚きつつ、胸をなでおろした。やはり秋野さんがいないと『俺たちの旅』は成立しない。
5月に吉祥寺で行われた記者会見でスリーショット+岡田奈々さんが揃った姿を目の前にしたとき、これは夢なのかと思ったほど、現実感がなく、感慨に浸る間もなく、バタバタと取材や撮影をこなした。その日は雅俊さんと秋野さんの撮影とインタビューが行われ、かなり立て込んだスケジュールだったのだが、なんとなく夢見心地だったような一日であった。

あれから半年以上が経った今年1月、正月早々『五十年目の俺たちの旅』を鑑賞した。場所は同作における聖地ともいえる吉祥寺、しかもキャストの舞台挨拶があるとのことで、ネットで予約したら、朝イチの上映を観ることができた。去年、記事執筆用にリモートで試写を鑑賞していたのだが、大画面で観るのはやはり格別。まるで別モノという印象で、受け取り方がまったく違った。ドラマの本編映像の使い方も的を得ており、さすが雅俊さん、わかってる!と胸が熱くなった。自分の座右の銘でもあり、今まで何度観返したかわからない34話「気楽に生きればなんとかなります」と35話「一緒に仕事をはじめました」の名台詞「人生は楽しいものなんだ」も、さすがに迫力がある。なにもかもが変わってしまったとしても、変わらない、いや変えたくない、老境に入った男たちの熱い気持ちが感じられる映画であった。
その数日後今度は、「俺たちの度スペシャルコンサート」へ出かけた。昨年の公演はチケットを入手することが出来ず、ようやく鑑賞。歌、トーク、映像を織り交ぜながら、当時を振り返る構成は、これもまたファンにはたまらない内容で、2時間半があっという間。全員で歌う「俺たちの旅」「ただお前がいい」「あゝ青春」、雅俊さん「私の町」、岡田奈々さんの「青春の坂道」等々をまさか生で聴くことができるとは。あらためてファンでよかったと思うばかり。4人の思い出の回もわかったし、スペシャルゲストで上村香子さんが出てきたところもうれしかった。
この日は昨年の追加公演で、会場は国際フォーラムA、しかも平日の開演時間は夕方4時。にもかかわらず5000人の超満員。この秋には同地で追加公演が予定されているとのこと。まさか、世の中にこんなにたくさんの『俺たちの旅』ファンがいて、『俺たちの旅』という言葉が拡散していくとは。ファンとしてこれ以上はない幸せな気持ちで帰路に着いた。(竹部)

俺たちの旅スペシャルコンサート
2026年秋ツアー開催決定!
10月29日(木) 東京国際フォーラムA
11月12日(木) 福岡サンパレス&ホール
11月13日(金) 広島文化学園HBGホール
11月17日(火) 神戸国際会館こくさいホール
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