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昭和マイルド

1966年に
ディスコの原型と呼べる
お店が新宿三丁目に
できるんです
――江守藹

昭和40年男が残したもの

最先端カルチャーの発信基地であり、リアルタイムの黒人音楽に触れることのできる場だったディスコ。その歴史を、日本にディスコカルチャーが誕生して開花するまでの一部始終を目撃した男・江守 藹と辿る。

※この記事は雑誌『昭和40年男』2024年10月号に掲載したものを一部抜粋したものです。

「1966年にディスコの原型と呼べるお店が新宿三丁目にできるんです。当時はゴーゴーバーとか踊り場と呼んでました。僕は以前からジャズが好きで、その流れでR&Bにも興味があったのですが、当時は黒人音楽のレコードの入手がまだまだ困難な時代でした。 だから、お店ができた時はありがたいと思いましたよ。しかも、小さいながらダンスフロアがあって踊ることもできたから」

三丁目の隅にあったこのジ・アザーは、アンプとターンテーブルが一台あるだけでミキサーはなかった。そのため、曲が終わって取りかえる間は無音になったという。それでもブラックミュージックに飢えていた江守のような若者にとっては楽園のような空間だった。

感度の高い遊び人が集うムゲン

68年、江守は歌舞伎町のサンダーバードというライブディスコの壁面を描く仕事で約3ヶ月、裏のビルの屋根裏をアトリエとして使用していた。この頃になると新宿には個性的なディスコがいくつか生まれ、各々が歌舞伎町、新宿三丁目、三越裏周辺のエリアに分かれて力を競い合っていた。

「店のタイプは大きく分けて3つ。ジ・アザーに代表されるモータウン系のステップやダンスが盛んな店、チェック、ベイビーグランドといったスタックス系のブラザーが多く集まる店、サイケデリックやアートロックまで幅広くかけるらせん階段やLSDといった店です。当時の僕は、昼は壁画の制作に追われ、夜はお気に入りのディスコに繰り出し、朝方にはアトリエで毛布に包まれて寝る毎日でした」

この68年という年は、あの伝説のディスコ、ムゲンが赤坂にオープンした年でもある。サイケデリックな内装や生バンド、ハウスロッカーズによるソウルフルな演奏が話題を呼んで、三島由紀夫や横尾忠則といった文化人が集う社交場としてその名を馳せる。

「最先端の音楽や流行を求めるアーティストやデザイナーが多かったですね。当時のディスコの話になると、けんかや揉め事といった物騒なエピソードがよくクローズアップされますが、それはごく一部。お客さんのほとんどは感度の高い遊び人ですよ。赤坂といえば、同年に誕生したビブロスも客層を店側が設定して会員制を導入したことや、斬新なインテリアで話題を呼びました。この2店は日本初の本格派ディスコと考えていいと思います」

70年代初頭になると六本木にも本格派ディスコがオープンする。それがメビウスだ。現在の喧噪が信じられないほど当時の六本木は閑静な場所だったが、この店が71年に誕生したことで新宿や赤坂と肩を並べるディスコの聖地へと変貌していく。

「メビウスというお店の最大の功績は、DJを初めてディスコの花形として全面に押し出したことです。ダンスフロアの中央に宇宙船型のカプセルDJブースが配置されていて、音響もインテリアもスタッフもハイレベルだったこともあり多いに話題を呼びました」

江守さんの作品の数々。

江守 藹/えもりあい
昭和23年、東京都生まれ。1970年代からイラストレーターとして活躍。ブラックミュージックやディスコのレコードジャケットを手掛け、現在まで170枚を超えている。また、ソウルダンスのパイオニアとして現在もその継承に尽力。公益社団法人日本ストリートダンス教育研究所代表理事

取材・文 :福積幸一
撮影:松蔭浩之