昭和の傑作アニメ『さすらいの太陽』を地でいく女性歌手がいる。流しの活動を経てメジャーデビューを果たしたおかゆさんのド根性はまさに昭和的。そんな彼女の根底に流れるギャル魂と、歌手時代のアンセムについてのお話です。
――2025年6月に発売した「ジモンジトウ」はメッセージ性が強くてインパクトがある曲ですね。
おかゆ:(2025年)5月に事務所を独立したタイミングで作った曲なんです。原点回帰として、メッセージ性のある曲で勝負したいと考えたのと、天国にいる母への思いを込めて作った曲です。あとはポップスにシフトしたいという気持ちもありました。小さい頃から母の影響で演歌や歌謡曲を聴いて育ったので、それらの音楽が自分の根底にあるのは間違いないんですが、それだけでは自分の歌や存在を幅広く知ってもらうのは難しいのかなと思っていたので。
――演歌・歌謡の世界にいると歌手が前に出がちですが、おかゆさんはシンガー・ソングライターとしての思いが強いんですね。手応えはありましたか。
おかゆ:誰もが共感できる内容にしたかったのと、時代を超えて愛される曲にしたかったんです。今までのファンだけでなく、新しい層の方から感想をいただけているので手応えは感じています。
――ジャケットも印象的ですね。
おかゆ:デビュー前に流しをやっていたときのような、裸一貫で勝負していた自分らしさが出ていると思います。でもちゃんと着ているんですよ(笑)。カメラマンさんが絶対かっこよくなるから!って提案してくださって。

――アレンジは?
おかゆ:船山基樹先生にお願いしました。
――昭和の歌謡界の黄金期を支えた方ですよね。曲の良さが生かされたアレンジです。
おかゆ:曲自体はシンプルな、8分音符中心のわかりやすい構成になっていまして。複雑な曲が多い今の時代には珍しいようで、船山先生もこういう曲は久しぶりだって言っていました。
――ほんとうに。ところで、おかゆさんは物心ついたときからスナックで過ごされていたということですが。
おかゆ:はい。母は歌手志望で詩吟をやっていて、スナックで歌っている姿を見て育ちました。わたしは91年生まれで、母が20歳のときの子なんですけど、馴染みのスナックはおばあちゃんの代から通っていて、皆が歌う曲が私の音楽体験のすべてでした。
――それだと、周りの友達とは話が合わなかったでしょ。
おかゆ:まったく合いませんでした(笑)。ギャルに憧れて北海道から渋谷に出てきたのに、携帯電話のメロディコールはずっと演歌でしたから。クラブに行っても全然楽しめない。そもそも黒いギャルがいなくなっている時点で浮いていたんですけどね。通信制の学校に通いながら、日焼けサロンに通っていました。そんな17歳のときに母が亡くなってしまい。

――その後、流し活動に移るんですね。
おかゆ:どうしても歌手になりたかったんです。簡単じゃないのはわかっていましたが、100個くらい受けたオーディションはことごとくダメ。「演歌に聞こえる」という意見ばかりでした。二十歳を過ぎたのでもう諦めようかと考えましたが、最後の思い出作りじゃないですけど、スナックで歌おうと思い立ったんです。母が歌っていた曲を歌えばスナックのお客さんが覚えて自分を知ってくれるんじゃないかなって。それでスナックを回って歌うことにしたんです。母の夢を叶えようと思っただけなので流しになろうと思ったことはありませんでした。
――全部飛び込みで回ったんですか。
おかゆ:はい。最初は店の扉の前で立っていただけ。忘れもしない東京の湯島のスナック。
――なぜまた湯島?
おかゆ:「東京 スナック いちばん多い場所」で検索したら湯島が出てきたんです。一晩で32軒、連続で断られて、33軒目で初めて歌わせてもらえました。
――歌った曲は?
おかゆ:最初は鳥羽一郎さんの「兄弟船」でした。ギターも弾いたことがなかったので、スナック周りと同時にギターを覚えて。1曲歌い終わったらリクエストが来たんですけど、曲を知らなくて、めっちゃくちゃ怒られました。来週までに覚えてきますと言って謝って。
――でも度胸はありますね。まるで『さすらいの太陽』の世界です。
おかゆ:わたし、あのアニメが大好きなんです。でも、本当に最初の1年は全然相手にされませんでした。お客さんに怒られて、「出て行け」と言われることもありました。ただスナックを周って歌っても歌手にはなれないから、目標を作ったんです。“七転び八起き幸せに”という言葉にかけて7842人のスナックで出会った人の写真を撮ろうと。そこまでやりきってなれなかったらもうやめる。キツイ対応もたくさん受けてきましたが、”流し”というキャッチコピーを作ってからは、少しずつ受け入れられるようになりました。
――流し活動を通じて新しい出会いがありましたか。
おかゆ:青森で地元の和モノDJの方とつながって、倉庫で何千枚ものレコードを見させてもらったのが大きかったです。そこでいろんな昭和の曲を知りました。五木ひろしさんの「狼のバラード」を聞かせてもらったときは、かっこよすぎる!とホントに衝撃を受けました。そこでグルーヴ歌謡という世界を知りました。

――その後、レコード集めが始まったんですね。
おかゆ:はい。グルーヴ歌謡のかっこよさに目覚めて、奥村チヨさんや、ちあきなおみさんなどを聴くようになりました。ギャル時代のとき聴いたパラパラ音楽の4つ打ちはダメだったのに、この4つ打ちはイケる!って。小さい頃から聴いてた演歌や歌謡曲が混ざった感じで耳馴染みもよかったのだと思います。
――流しで培った即興力が今の作曲につながっている?
おかゆ:曲を歌いきらないと場がしらけるので、常に即興で作曲して歌う感覚が身につきました。レコードを集め出してからは、ジャケットのイメージで勝手に曲を作ってみるという遊びをしたりもしていたので。
――全国を回ると、交通費や宿代も自分で稼ぐんですよね?
おかゆ:もちろん、交通費も宿代も自分で稼ぐまでその地から離れないと決めて行ってました。
――旅は好きなんですか。
おかゆ:好きですね。最初は義務感で”行かなきゃ”という感じでしたが、途中であたたかい人に出会ったり、地域ならではの思い出ができたりするのが楽しくなってきて。カプセルホテルで怖い体験をしたりもしましたが。
――47都道府県、全部回ったんですよね。
はい。平成のうちにどうしても達成したくて。コロナ禍でお店も潰れたりして大変でしたが、回り切ることができました。その頃からDJにもチャレンジし始めるようになりました。

――おかゆさんのレコードコレクション、八代亜紀さんのサイン入りとかもあるじゃないですか。
おかゆ:共演した方々からサインをいただいているんです。小林幸子さんから衣装をもらったこともあるんですよ。
――あっ、これはおかゆさんがカバーしている佐東由梨「ロンリー・ガール」ですね。
おかゆ:加藤ミリアさんの「ディアロンリーガール」が、ギャル時代に大好きだったんです。“淋しいんじゃないよ、一人が好きなだけ”って歌詞が、わかるー!みたいな。流しを経てデビューした後、カラオケで歌おうと思ったら、モニターに作詞・作曲で、筒美京平・松本隆って書いてあって”あれ?”ってなって。ミリアさんの曲だと思っていたからびっくり。ひょんなことから原曲を知ったからレコードを買おうと思ったら高額でまたびっくり。私のレコードは有難いことにファンの方からいただいたものなんです。

――このレコード、いまは中古屋でも見かけないですよ。おかゆさんにとってテーマソングのようなものなんですね。
おかゆ:わたし今、若い子たちに夢や生き方を広めてくださいと依頼を受けて、明治大学や金城学院大学で講師をさせていただいているんです。そこでよくオリジナルの「ロンリー・ガール」と、ミリアさんのバージョンと、私の「ロンリー・ガール」を聞かせると、若い子たちが反応してくれて、昭和でも平成でも令和でも関係なく、かっこいいものはかっこいいという結論に至っています。自分のレコードコレクションの中でいちばんかっこいいのはやっぱり佐東由梨さんのこの一枚。同じ札幌出身ですし。
――昭和カルチャーへの深い理解が伝わりました。
おかゆ:私の場合は外見だけで昭和を楽しむのではなく、生活や生き方そのものに影響を受けています。小さい頃からスナックのような大人の社交場で、昭和の人たちと触れ合い、歌を聴きながら育ったので、自然と中身が昭和になっているって感じです。
――ただのレトロではなく、本質的な昭和ですね。
おかゆ:無理にビジュアルだけ昭和に寄せようとは思っていません。音楽や時代背景、昭和の人たちの考え方を大切にしているんです。
おかゆ
平成3年、北海道生まれ。シンガーソングライター。2014年から“流し”の活動を始め47都道府県を制覇。インディーズ時代には『THEカラオケ☆バトル』で2回優勝。19年5月、『ヨコハマ・ヘンリー』でメジャーデビュー。最新シングルは2025年6月にリリースした『ジモンジトウ』。






