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昭和マイルド

香港映画の可能性を広げた男
マイケル・ホイ
――福積幸一 連載第5回

編集部

連載『海外スター紳士淑女録』がスタート。外国がいまより遥かに遠かったあの頃。海外で活躍するスターは、文字通り雲の上の憧れの存在だった。そんな記憶を令和のいま紐解いてみよう。

学生時代、世はバブル全盛だったが、その恩恵を与った記憶がない。

令和の大学生の懐事情も厳しいものがあるのは容易に想像できるが、風呂無し共同トイレのアパートで暮らしながら、来月の家賃をどう工面するか頭を巡らせる当時の筆者の生活は、それはそれで言葉で言い表せぬ焦燥感と徒労感に包まれていた。ゴミ置き場で拾ったテレビは辛うじて民放を受信してはくれたが、画面から流れてくる景気の良い話の数々は、どこか違う国の話かと勘繰ってしまうほど埋め難い格差を感じていた。

もちろん、アルバイトを選んでいる余裕などなかった。家庭教師のような毎月定額で実入りが期待できるものから、現金がその日のうちに手に入る短期の倉庫作業まで何でもやった。そんな時にK君と出会った。彼は住み込みの新聞配達員で筆者は彼が担当するコースを週末だけアルバイトとして担当することになった。初日の前の日、順路帳を片手にK君に同行、夕刊を配り終わって販売店に戻る道すがら、ふたりが同じ年だということが判明、一気に距離が縮まり、身の上話に花を咲かせた。この後、新規の顧客が増えるたびに順路確認を兼ねて彼に同行させてもらったので、かなり仲良くなった。

K君は高校後卒業に上京、映像系の専門学校に行っていたが経済的な理由で現在は新聞配達員をしているとのこと。筆者は彼が何気なく口にした“映像系の専門学校”という一言に引っかかり、“映画が好きなの?”と尋ねると、彼は嬉しそうにうなずいた。そして販売店に戻るやいなや、2階の間借りしている自室から『Mr.Boo!インベーダー作戦』のパンフレットを持ってくると自慢げに筆者に見せた。これは想定外だった。映像系の専門学校に通っていたという先入観から、当時流行し始めていた単館公開のアート系映画だと思い込んでいたからだ。失礼な言い方で恐縮だが、当時この作品に好意的な論評に出会った記憶がないのもあったかもしれない。ただし、認知はされていた。

香港の喜劇俳優マイケル・ホイ主演の『Mr.Boo!インベーダー作戦』(原題:賣身契)は、準主役を実兄弟のサミュエル・ホイ、リッキー・ホイが務める『Mr.Boo!』の2作目(本来は3作目)にあたる作品として1979 年に日本で公開された(本来は4作目)。

この映画の脚本・監督・主演を務めたマイケル・ホイは1942年に広東省で生まれた。1968年に番組司会者としてデビューすると、コント・バラエティ番組『雙星報喜(ホイブラザーズ・ショウ)』でその巧みな話術で人気を得ると映画の世界に進出、自ら脚本・監督・主演を務めた『Mr.BOO!』とそれに連なる作品で香港の興行記録を塗り替える大成功を収めた。日本でも本シリーズはヒット、当時はいまと違い、“香港映画といえばカンフー”という時代だったが、マイケルはそんな先入観をこのシリーズで払拭、香港映画の可能性を広げた。

本シリーズを語る際、日本語吹き替えを務めた広川太一郎に触れないわけにはいかない。1979年に日本ではシリーズ1作目として公開された『Mr.Boo!ミスター・ブー』(原題:半斤八両)が1981年に、『Mr.Boo!インベーダー作戦』が1982年元旦に『ゴールデン洋画劇場』でそれぞれ放映されているが、『チキチキマシン猛レース』や『ドボチョン一家の幽霊旅行』で披露したアドリブ全開のあの広川節が爆発、“マイケル・ホイ=広川太一郎”という強烈な記憶を多くの視聴者に刻み込んだ。

対立するふたつのテレビ局を舞台に、1枚のタレント契約書をめぐって巻き起こるこの物語で、マイケルは香港のテレビ業界の現状を痛烈に皮肉ってみせた。当時の香港にはテレビ局は2局しかなく、香港在住の芸能人は、ごく一部の有名俳優・歌手以外は、どちらかの局と専属契約を結ばなければならず、契約の無いテレビ局には出演出来ず、移籍の際は現在の専属契約を破棄しなければならないという出演者にとって圧倒的に不利な制約があった。

こうした当時の香港のテレビ業界をめぐる事情について教えてくれたのが、K君だった。筆者をふくめて公開当時、ほとんどの日本人はこの作品をドタバタコメディとしか見ていなかった。しかし、K君は違った。この映画と出会い、香港映画に魅せられるうちに、それは香港という土地そのものへの興味へと変わったという。彼はいま広東語と英語を勉強していて、新聞配達で稼いだ資金を元手にいずれは香港で映画の仕事に携わりたいと熱く語っていた。

それから1年ほどして筆者は新聞配達を辞めた。以来、K君とは会っていない。彼はいま何処で何をしているのだろう。香港に渡ったのだろうか、映画を撮っているのだろうか。分からない。ただし、ひとつ言えることがある。“一本の映画がひとりの男の人生を変えた”ということだ。劇場に幾度も通い、一日中この映画を見続けたと語る彼のまっすぐな瞳を思い出すたびに、そう思う。

文:福積幸一