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昭和マイルド

ポールもジュリーもピコピコ
テクノポップに
浮かれた80年代前半の
音楽シーン

昭和40年男が残したもの

テクノロジーの革新が直撃した音楽シーンに産み落とされたテクノポップに沸き立った80年代前半、多くのアーティストが作品の中にテクノポップの要素を取り込み始めた。その結果、多くの傑作、珍作、迷作が生まれた。

※この記事は雑誌『昭和40年男』、2022年12月号に掲載したものです。

電子音によって組み立てられたポップミュージック=テクノポップが勃興したのは1978年。いわゆる“テクノ元年”と言われているこの年には、ドイツでクラフトワークが『人間解体』を、アメリカでディーヴォが『類廃的美学論』を、そして日本でYMOが1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』を発表と、テクノポップの歴史的な名盤が発表されている。

とはいえ、日本の大衆でこの動きにすぐさま反応していたのは一部の洋楽リスナーぐらいで、テクノの知名度もまだまだ低かった。そんな状況が好転していくのは、79年の9月にYMOの2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がリリースされた頃からだ。それまでコンピューターゲームなどで子供たちにも浸透してきたピコピコした電子音とディスコミュージックが融け合わさったサウンドは、10月にシングルカットされた『テクノポリス』のヒットで加速し、一気に「いま来てる」音楽になっていったのだ。その流れで言えば、日本の歌謡曲シーンにおける“テクノ元年”は80年と言ってよいだろう。お茶の間にテクノサウンドを広めた“テクノ歌謡”の第1号と呼ばれている沢田研二『TOKIO』がリリースされたのがこの年の元旦でもあるからだ。

しかしこの曲、シーケンスを絡めたイントロこそテクノ風でありながらも、骨格はオーセンティックなロックサウンド。電飾をあしらったド派手な衣装と沢田研二というスーパースターの器で、景気よく80年代の最新型サウンド=テクノポップを押し切っているような作品なのだ。とはいえ、このような急ごしらえとも思えるテクノ歌謡が非常におもしろがられたことで、なんでもかんでも目新しいものを身に付けることはオシャレ!と、すっかり80年代マインドで便乗したものが増え、以降、あちこちでテクノのメイクが施された歌謡曲を耳にするようになる。

テクノ特有のサウンドはコミカルな印象を与えるところもあって、テレビ番組の企画モノやお笑いタレントのレコードなどで聴けることも多かった。60年代、ベンチャーズを発端としたエレキブームが来た時にこぞって飛びついた“テケテケ音”が、80年代には“ピコピコ音”になっていたというわけだ。ほどなくしてイモ欽トリオ『ハイスクールララバイ』のようにYMOのメンバーが提供したホンモノが仕掛けたテクノ歌謡も登場するが、多くは“とりあえず乗っかってみました”的なノリでテクノを消費。それゆえに、“猫も杓子も”だった時期はほんのわずかな期間で終わっていった。  

海外ではどうだったかと言うと、イギリスではニューロマンティックなるムーブメントが起き、ウルトラヴォックスをはじめとするテクノに触発されたグループが次々と人気を獲得。先達のデヴィッド・ボウイなどもテクノサウンドに寄っていったが、どちらにも乗っかってみた感はなく、シンセの特徴と利点を活かしながらアルバム単位で世界観を作り上げていった。乗っかったと言えば、アルバムのなかで数曲トライしてみせたポール・マッカートニーがまずは浮かぶ。ファンは驚き、メディアからは酷評されるも、アルバムは大ヒットを記録した。また、マイケル・ジャクソンがYMOの『ビハインド・ザ・マスク』を『スリラー』でカバーしようとしていたのも有名な話(プロデューサーのクィンシー・ジョーンズによるアイデア)。  

日本に話を戻すと、80年代に入って2、3年も経った頃から、シンクラビアなどのデジタルシンセが徐々に現場へと導入され(高価なもので一般にまでは普及していない)、音色のおもしろさなど表層的な部分に役立てるだけでなく、生楽器の音を打ち込んだりと便利で画期的なレコーディング機器としてシンセサイザーはその役割を果たしていく。また、83年にYMOが歌モノに寄ったアルバム『浮気なぼくら』で“極めつけ”を見せて散開したところで、テクノポップは“流行モノ”としての機能を完全に終わらせたのである。

<ディスクレビュー>

「マッカートニーⅡ」
ポール・マッカートニー

10年ぶりのワンマンレコーディング作品で止める人はなし…というわけではないが、興味の赴くままにARPのシンセと戯れながらテクノポップ作りにも励んだ衝撃作。ちなみに録音は成田の税関で逮捕される半年前。

「TOKIO」
沢田研二

80年代の幕開けと共にテクノサウンドをお茶の間に投下した第1号。YMO『テクノポリス』のイントロで聴けるボコーダーボイス「TOKIO」との関連性はないが、「東京」のドイツ語読みはむしろクラフトワークに繋がってた…かもしれない。

「その日海からラプソディ」
加山雄三

どうせなら映画も見たかった『テクノの若大将』。当時、フルセットで1億円以上したというシンクラヴィアを日本で初めて購入した人とされているが、その名機も光進丸と共に燃えてしまったとか…。

「ロボット」
榊原郁恵

作詞・松本隆、作曲・筒美京平、編曲・船山基紀という、のちにC-C-Bを手掛けたヒットメイカーチームによる、限りなくホンモノに近いテクノポップ。ロボットダンスもイカしてた。

「おんどピコピコ」
志賀正浩

昭和40年男にとってはフォー・セインツというより『おはようスタジオ』の志賀ちゃん。音頭とオールディーズとテクノがミックスしたキテレツナンバーで、赤塚不二夫の詞もぶっとんでる。

文:久保田泰平
レコード提供:鈴木啓之