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昭和マイルド

柔の加藤 VS 剛の志村(後)
――広川峯啓 連載第2回

編集部

今こそ加藤茶の正当な評価を!お笑いエンタメライター広川峯啓渾身の新連載「シン・加藤茶論」がいよいよ本格スタート!

序説はこちらから!

前回は「加藤、志村の間には、なぜ最後まで対立構造が生まれなかったのか?」という謎を取り上げたところで終わった。多様な要因があったかとは思うが、今回は二人の関係性を時系列に沿って振り返ってみたい。

志村けんがドリフのボーヤとして採用されたのが1968年。まもなくして加藤茶の付き人となり、加藤家に居候するも、一度グループを抜け出している。当時のエピソードとして、メンバーの残したラーメンの汁でライスを食べたという話や、加藤の母と仲良くなり志村の好みの献立を出してもらったという話などが残っている。おそらくどちらも事実で、仕事現場では厳しい処遇でも、居候先では優しく受け入れられていたのだろう。

72年、ドリフを離れた志村はマックボンボンというコンビを結成。冠番組を持つまでになり周囲から期待を集めるも、コンビはわずか約1年で破綻。73年に再びドリフの付き人に戻ることとなる。その時点では「メンバー見習い」と見なされていたようで、『全員集合』のほかにドリフ主演の映画にも端役で出演していた。この頃の志村が記憶にある人もいるだろう。地道な露出で徐々に顔と名前が知られるようになりはじめた74年、荒井注の脱退を受け、新メンバーとしてドリフに加入する。ついに芸人、志村けんが誕生する。加入直後は、今一つパッとしなかったものの、76年に「東村山音頭」で大ブレイク。以降はドリフの中心で笑いを獲得していったのは多くの人の知るところだ。

85年に『全員集合』が終了。その同時間帯の後継番組として『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』がスタートする。タイトルこそ加藤が先に来ているが、実質は志村メインのバラエティといっても差し支えない内容で、加藤はそこで志村のフリ役及びサポートに徹する。この番組での二人のコンビネーションは抜群で、『全員集合』末期には視聴率で差を付けられていた裏番組の『オレたちひょうきん族』を抜き返し、『ひょうきん族』を打ち切り終了にまで追い込んだ。

いま振り返ってみても、『全員集合』時代から『加トけん』で活躍した当時まで、加藤茶が志村けんに対抗意識を燃やした様子は、少しも見受けられなかった。俳優と違ってコメディアンの言動は、テレビ越しであっても透けて見えるもの。実例として、裏番組の『ひょうきん族』でのビートたけしと明石家さんまのコンビ芸からは、明らかなライバル関係が見て取れたし、それがプラスに働いて番組をいっそう盛り立てていた。

こうした対抗意識を燃やすこと自体は、ある意味当然のことと思えるが、加藤志村の間には、そのような空気は1ミリもなく、ただフラットな友好関係だけが流れていた。その関係性は、ドリフの付き人になった志村を、加藤の実家に同居させていた当時から一切変わらなかった。一度は付き人から逃げ出した志村を、いかりやの元に連れて行き、うまくとりなしたのも加藤の優しさだった。

中でも二人の結び付きを象徴する出来事が、志村の新メンバー加入時の経緯だろう。荒井注の脱退を受けての交代劇は、誰もが知るところだが、あまりにもメディアのど真ん中でスムーズに繰り広げられたからなのか、それが異例中の異例だった事に気づいた人は少なかった。いや、気づいた記者やライターがいたとしても、所属事務所に配慮して、記事にはできなかったのかもしれない。

志村のドリフ加入は「グループの付き人のメンバー入りは有り得ない」という業界のセオリーに、真っ向から反した選択だった。芸能史を紐解いてみると、バンドボーイからスターへと出世の道を駆け上がった歌手、タレントは決して少なくない。しかし、彼らは新たに自分のバンドを結成したり、独立してソロで活躍しており、志村のようなケースは普通、異例のケースだった。

リーダーのいかりやも当初は、荒井注の同世代でスウィング・フェイスというバンドのリーダーだった豊岡豊を後釜に考えていたという。加藤はそれに反対して志村を推薦したが、それ自体が後々自分の人気を脅やかす可能性も、承知のうえだったはず。ドリフ時代から常にオリジナリティあふれる笑いを生み出してきた加藤茶にとっては、誰かをライバル視する必要性などなかったのだろう。

いかりや長介、志村けんが残したエピソードからは、笑いを生み出すことの厳しさが随所から感じ取れる。だが不思議なことに、笑いの歴史に残る多くのギャグを創り出してきた加藤茶のエピソードの中には、そういった「芸談」が驚くほどに見当たらないのだ。笑いの世界で加藤茶が果たしてきた役割がどれほど大きいか、誰もが知るところだろう。にもかかわらず、彼が何を考え、どのように試行錯誤してきたかは、明らかにされないまま今に至っている。この部分を補完することこそが、「シン・加藤茶論」の責務なんだと、真剣に考えている昨今である。 (次回に続く)

広川 峯啓
ひろかわ・たかあき|昭和40年生まれ。エンタメライター(お笑い寄り)古今東西のお笑いをこよなく愛し、プロアマ問わず笑いを生み出す「笑わせ人」をリスペクトする、深掘り好きの研究家気質。

文:広川峯啓
イラスト:Waco
レコード提供:鈴木啓之