9

昭和マイルド

加藤茶、孤軍奮闘の時代(前編)
――広川峯啓 連載第3回

編集部

今こそ加藤茶の正当な評価を!お笑いエンタメライター広川峯啓渾身の新連載「シン・加藤茶論」がいよいよ本格スタート!

序説はこちらから!

本来なら、最初に断っておくべきだったのかもしれない。あまりにも自明の理だと思い込み、あえて説明してこなかったことがある。志村けん加入前のドリフターズの体制についてである。

前にも記したように、この時期の映像はほとんどDVD化も配信もされていない。観ることができないため、記憶を呼び起こすのが難しい状況になっている。それにも増して深刻なのが、初期の『8時だョ!全員集合』を夢中で見ていたちびっ子世代が、どうやら当時のことをあまり覚えていないらしいのだ。

理由はおそらく、後から出てきた志村けんの活躍に目を奪われ、子どもの習性で記憶を上書きしてしまったことにある。そうでなければ、「志村うしろ!」は覚えていても「加藤うしろ!」を誰も覚えていないことの説明がつかない。

などと上から目線で書き連ねている筆者・広川にしても、当時は小学校低学年であり、小難しいことなど考えもせず目を輝かせて、ブラウン管にかじり付いていたわけで。当時の記憶に絶対的な自信があるとは言えないものの、あえてこのまま推し進めさせていただく。もしお読みくださっている方の中に、ご自身の記憶と違うという方がいらっしゃれば、遠慮なく当サイトにご一報うただきたい。それでこそ、タイトルに「茶論」と付けた意味があるってものなので。

後期の『全員集合』は、志村中心の構成とはいえ、加藤人気も継続していたので、いわば2トップに近いスタイルで番組を進めていた。この体制が生きたのは後半コントのコーナーで、生で次々に繰り広げられるネタも、笑いが途切れることなく進行していった。これは多くの人が知るところだろう。

それ以前のことを懸命に思い起こしてみると、加藤茶が孤軍奮闘していたイメージが強い。ただし、人気だったギャグは覚えていても、そうでもないものに関しては忘却の彼方に消え去ってしまっている。加藤茶抜きのネタで覚えているものと言えば、仲本工事がゲストと絡んだ体操コントくらいだろうか。それも笑わせてくれたのは、失敗して恥ずかしそうにポーズをとるゲストの方だったが……(もちろん、そこで笑いが生まれるよう仕向けた仲本の功績については、今では十二分に評価している)。

ただ、1人で懸命にグループを支えていた加藤も、ちびっ子の目からすれば、ただ楽しそうにはしゃいでいるようにしか見えていなかった。おそらく会場の子どもたちをはじめ、全国の子ども視聴者も同じように思ってたはず。たとえ加トちゃんがコントでハゲヅラをかぶっていても、自転車に乗ったお巡りさんを演じたとしても、あたかも子どもが大人のマネをしてるかのように見えていた。

志村もそうだったが、普通、コメディアンが子ども役を演じる場合は、子どもらしい特徴や言い回しを捉えて強調するもの。なのに加藤茶が子ども服を着ると、特に技巧を凝らさなくても無邪気な子どもに見えてしまう。あたかも自分たちの仲間として親近感が感じられ、次々と繰り出されるギャグは、たちまち大流行となった。

当時の子どもたちにとって、加藤茶という存在はクラスの人気者の最上位ランクに位置するヒーローだったのかもしれない。これは決して貶めているのではなく、いかりやリーダーという大人代表からガミガミ怒鳴られながらも、一向にめげない存在に、シンパシーを感じていたのだろう。

そこに横やりを入れてきたのが、全国的組織のPTA協議会だった。(この項続く)

広川 峯啓
ひろかわ・たかあき|昭和37年生まれ。エンタメライター(お笑い寄り)古今東西のお笑いをこよなく愛し、プロアマ問わず笑いを生み出す「笑わせ人」をリスペクトする、深掘り好きの研究家気質。

文:広川峯啓
イラスト:Waco