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昭和マイルド

スケートボードに乗った王子様
レイフ・ギャレット
――福積幸一 連載第4回

編集部

連載『海外スター紳士淑女録』がスタート。外国がいまより遥かに遠かったあの頃。海外で活躍するスターは、文字通り雲の上の憧れの存在だった。そんな記憶を令和のいま紐解いてみよう。

アイドルの旬は10代。そんな先入観が半ば呪縛のように昭和の常識を支配していた。1980年の平均寿命が男性:73.35歳、女性:78.76歳、ほとんどの日本人は、80代の自分を想像せずに生きていたことになる。そんなだから、20代以降のアイドルの身の振り方について思いを至らせる器量も見識もなかった。それがどうだろう、現在の平均寿命は男性:81.35歳、女性87.33歳。こうなると、アイドルの寿命も伸びるのも当然で、いまや30代と聞いて驚くことはなくなった。

今年開催されたFIFAワールドカップ2026のハーフタイムショーでパフォーマンスを披露したジャスティン・ビーバーを見ていたら、レイフ・ギャレットを思い出した。10代のアイドルとして絶大な人気を誇りながら、紆余曲折を経てひとりのアーティストに成長した現在32歳のジャスティン。ギャレットにも、ジャスティンと同じような未来があったかもしれない、と思うと少し切ない気持ちになった。

1961年11月8日にカリフォリニア州ハリウッドで生まれ、5歳から子役として活動していたギャレットは、テレビドラマシリーズ『Three for the Road』(75)に主人公の息子役として出演したことをきっかけに少女たちの間で人気が高まり、アトランティック・レコードからレコード・デビューした。77年発売のファースト・アルバム「Leif Garret」の邦題は「ニュー・プリンス」。少女漫画から飛び出してきたようなブロンドヘアのギャレットはまさに王子様だった。
78年11月に発売された「I Was Made for Dancin,」(邦題:「ダンスに夢中」)はビルボードホット100で10位を記録。日本でも本人が出演したナビスコ・アイダホポテトスティックのCMで使用されると、35万7千枚を売り上げ、79年の年間チャート洋楽部門で1位に輝く大ヒットを記録した。

このCMのなかで彼が器用に乗りこなしていたのが、スケートボードだった。いまでは堀米雄斗ら日本選手の活躍のおかげで、この乗り物を知らぬ者はいないが、当時の日本の少年少女はローラースケートは知っていても、スケートボードまでは手は回っていなかった。78年にアラン・ゲレファンドが斜面で手を使わずにボードを浮かせる「ノーハンドエアリアル」を開発するが、太平洋を隔てた日本の子どもたちは知る由もなし。ギャレットは、ほんの数秒ではあったが、スケートボードの魅力をお茶の間に伝えてくれた第一人者だった。

日本人にとってレイフ・ギャレットといえば、「NEW YORK CITY NIGHTS」だろう。同時期に発売されたアルバム「Feel The Need」(邦題:「プリンスの週末」)からシングルカットされたタイトル曲のB面だったこの曲は、後に田原俊彦がデビュー曲「哀愁でいと」として80年にカバー、大ヒットを記録した。この田原バージョンの大ヒットを受け、AB面を逆にして再びプロモーションされて、こちらも100位以内(76位)にチャートインしている。ちなみに、同じ事務所だった川﨑麻世が「I Was Made for Dancin,」を「レッツゴーダンシン」という邦題でカバーしている。

『哀愁でいと』はドラマ『ただいま放課後』(80)の挿入歌だった。神奈川県の田舎に新設された高校「隼学園」を舞台に、本田博太郎演じるドンガメと寺泉哲章演じるチョロの対照的な魅力が光る青春ドラマで、筆者は大好きだった。劇中で廃部になっていた陸上部に入部する北川豪史を演じる田原が挿入歌も担当、それがこの曲だった。

筆者は原曲も田原のバージョンも両方好きだった。拙いながら懸命な歌唱が、切ないメロディと相まって青春特有の焦燥感を醸し出しているようで心を揺さぶられた。音楽は技術だけでは語れない。それを体現したように感じた。

ただし、両者のその後のキャリアは対照的だった。現役アイドルとしてコンサートを中心に活躍し続ける田原に対して、ギャレットはティーン・アイドルとしてのイメージを嫌うように、フィアンセのニコレット・シェリダンとのセミヌード写真を公開、ファンを困惑させた。そして、幾つかのスキャンダルもあってか、人気に翳りが射し、81年以降はレコードリリースも無くなった。

傍目には華々しく見えても、本人はアイドル的な振る舞いを続けることにうんざりしていたのかもしれない。アイドルの旬は10代。大人のアーティストに移行するには時代がまだ追いついていなかった。それはアメリカも同じだった。虚像を振り払った先にある、ギャレットの望む20代のキャリアとはどのようなものだったのか。それは本人にしか分からない。そんなギャレットだが、現在は音楽活動に復帰しているそうだ。人生100年時代、焦る必要はない。



文:福積幸一